十五夜

令和2年10月1日は十五夜(中秋の名月)である。最近は子供の頃のようなイベント性も薄れ、うっかりしていると何事もなかったかのように過ぎ去ってしまうことも多々ある。
そういえば子供の頃はこういった季節の行事や慣習というものを意識して生活していた気がする。ちょっとしたイベントでもやり過ごすことなく、きちんと慣習に則って楽しんだものである。まあ、慣習どおりにやることが全て良いことだとは言わないが、少なくとも僕は季節感というものを大事にしたいので、イベントに参加するかどうかは別にして、意識だけは持っていたいと思うのである。
ところで十五夜の話に戻るが、この時期になると決まって河原にススキを取りに行かされたものである。近所の河原にはススキが群生していたので、取り放題であった。だから河原に行くと、僕だけではなく近所の友達や大人までもが一生懸命ススキを刈り取っている姿を見たものである。今は花屋でわざわざススキを買うのが当たり前のようになっている感じもするが、当時を過ごした僕からしてみたら、ススキは買うものではなく河原で刈り取るものなのである。
ところで、僕がススキを刈り取っている間、母は畳敷の居間に小さな「ちゃぶ台」を配置して準備する。
台所ではすでに真っ白くまんまるな月見団子も用意されている。
外は日の入りも早くなり、すでに東の空は夜の帳が降りて薄暗くなってる。
僕は刈り取ったススキを手に持ち、東の山の稜線に半分姿を出し始めた満月を横目に見ながら家路を急ぐ。
家に入るとすっかり月見の準備は整い、奥の食卓では父が晩酌をしていた。「ご苦労さん」と言われ、母はススキを受け取ると花瓶に挿した。
家族皆で早めの夕食である。いつもながらの光景ではあるが、僕の心の中ではどういうわけか焦っていた。別に早く食べ終えたところで団子に早くありつけるわけではないのだが、団子が気になって仕方ないのである。団子なんて珍しいものでもないのだが、月見の団子はどういうわけか別物のような気がしていたのである。
そんなことを思いながら夕食が終わると、いつもならテレビを観るのだが、この日ばかりは居間に行き、静かに月を観るのだ。正確には団子を見つめるのだ(笑
特別なにかしら家族でイベントを行うわけではない。むしろ静かに過ごすのだ。どこの家庭でも同じである。この日ばかりは心なしか厳かな雰囲気で外の虫の声に耳を傾け、そして夜空の月を見上げるのだ。そして、母の解禁の合図とともに、待ってましたとばかりに静寂を打ち破り、一斉にちゃぶ台の団子に手が伸びるのであった。