時代劇のチャンバラごっこ

僕は子供の頃、よく祖父の家に入り浸っていたので、何かしら祖父や祖母の影響を受けて育った。
その中でも顕著なものが、時代劇である。
祖父は時代劇が好きで、僕が遊びに行くと昼夜問わず時代劇がテレビに映っていた。
「水戸黄門」はもちろん、「木枯らし紋次郎」、「子連れ狼」、「銭型平次」などが当時の有名どころであった。
祖父はもちろんこういった時代劇が大好きであったが、世の中の傾向としてもこういった勧善懲悪ものの時代劇がたいへん好まれ、テレビの普及とともに時代劇全盛の時代でもあった。
だから駄菓子屋なんかに行くと必ず日本刀のおもちゃが売っていた。
当時の日本刀のおもちゃには2種類あり、一つは刃の部分が白いプラスチックの完全な子供騙し的なもの、そしてもう一つが精巧なものであった。この精巧なものはきちんと鞘と刃がセットで売られており、鞘から出した刃はプラスチックではなく、ステンレスでできた一見本物のような見映えである。当然実際には切れない。そこはきちんと安全性が考慮されているのだろうが、それでもこれで切り付けられたら相当の大怪我になりそうである。
この後者の刀を持っている子がかなりいた。
当然僕も一本所有していたのである。まるで武士みたいに(笑
この刀が子供たちの間である意味ステータスでもあった。
そして、この刀を持ち寄っては時代劇のチャンバラごっこに興じるのが日常の遊びでもあった。
まだ小学校に上がる前の子供たちなので、手加減を知らない。当然僕自身もそういったことを考える由もない。
しかし、何回か切り付けられたりして痛い経験をしていると、さすがの僕でも学習してくる。叩きどころによっては危険だということを本能的に察知できるようになると、手加減したり、叩き場所を変えたりする。そのうちに友達の中で簡単なルールが出来上がる。顔や頭はダメ、突きも禁止といった具合だ。
今思えばチャンバラに限らず、いろいろな遊びの中から痛い目にあいながら学んできた気がする。時には本当に危険な状況も経験した。しかし大袈裟ではあるが、こういった遊びの経験があったからこそ、今僕は生きているのかもしれないし、他人に対して愛情をもって接することができているのかもしれない。子供はやはり外で皆と遊ぶに限る。子供の中のコミュニティで様々なことを学び、それが大人になったとき、或は成長の過程で無意識に役立つのである。